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祝いと呪い以外のすべて

海街diaryを見た

映画の感想を書く場所がここしかなかったのでここに書く。総じて良い映画体験だった。ネタバレやだという場合はお読み飛ばしを。

綾瀬はるか演じる長女は親の身勝手ゆえに苦労した過去をひきずりつつも、そこから脱却して十分にその事実に向き合えていると自分では思っている。多感な時代に苦しさをよく理解してくれる人が近くにいてくれれば無闇やたらに苦しみを長くひきずることはないということも分かっていて(長女にとってのその人はおそらく祖母であったのだろう)、それゆえに父親が二人目の妻との間にもうけた広瀬すず演じる妹のことをほうっておけず、父親が世に残した「禍根」みたいなもの(と長女が当初思っていたもの)を妹に味わわせてはいけないと思い、彼女のことを引き取ろうと決意する。

しかし長澤まさみ演じる次女にそれは母親へのあてつけだ、責任転嫁するばかりで自分の人生に本気で向き合おうとしていないというようなことを言われ、さらに母親に対する許せなさはいわゆる同族嫌悪のようなものだったこと、自分も母親とたいして変わらない道を歩いていることに気づき、結局自分も父親の残した禍根(と彼女が当初思っているもの)から脱却できていないことに立ちすくむ。

しかし母親と共に祖母の墓参りに訪れた折に、母親もまたしょせん弱いひとりの人間だったのだということを見てとり、母親と、自分の中にある母親に似たものを同時に許せたとき、妹たちとの関係も柔らかく静かに変化する。(この前後にある祖母の浴衣に袖を通すシーンが、長女が自分のルーツを受け入れたことの比喩のように見えたが、考えすぎかもしれない)

最後の浜辺のシーン。長女の「お父さんはいい妹を残してくれた」という言葉、そこには妹に対する愛情と共に、「世に禍根を生み出してきた父親」ではなく「弱いながらに精いっぱい家族を愛してきた父親」への温かなまなざしが表れる。寄せて返す波の音、エンドロール。

親のことが許せないという時期は、自分もしかり、誰しもあるのではないかと思う。この血縁的モラトリアム期間とでもいうべきものをどのようにして乗り越えるかというのは人生の一つの山場のようなものであり、もしかすると乗り越えたようでいて実のところどこまでもひきずってまた後世後代の人びとに遺産として継承しているのかもしれないが、「親も同じ人間なのだ」というシンプルな事実を受け入れたとき、はじめて大人のフィールドに足を踏み入れられるのかもしれない。そんなことを映画を見ながら思った。